金に興味の無い奴は博士課程に来ないでくれ、頼むから。


 「博士が100人いるむら」というシニカルなネタが某電子掲示板で流行ったことがある。博士のうちまともに就職できるのが5割で、ポスドクといわれるパートタイマーが2割、そして2割が無職もしくは行方不明・死亡というのが現状らしい。ネタかと思いきや、文科省の統計を見ると結構マジなので、博士に進学し研究職を目指す者としてはかなり焦る。


http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/08010901/004.htm


 オーバードクターがどうのこうのという理由が実しやかに囁かれ、行政は博士卒のポストを増やすために躍起だが、企業から見ると「博士は歳食って高給取るだけで使えねぇ」という状況が変わらない限り、結局はホームレス支援と同じで根本的解決にならない。もちろん企業がそう考えるのは、実際に博士が使えないからであって、僕自身も実際「ああこの人優秀だけど企業じゃ使えねーって言われるんだろうなあ」と思うことが多々ある。

「費用対効果って何?」な人たち


 大学の研究室にいて痛感するのが、本当に費用対効果という概念が存在しないこと。実験のクオリティを上げようと思えばいくらでも上げられるし、数年かけて完璧な論文を書くこともできる。


 機材の調子が悪ければ3日かかっても自力で調整する。企業だったら、自力で調製するためにかかる時間×時給が、業者を呼ぶ費用×納期を越えると判断した時点で業者を呼ぶはず。でも、学生の労働力など空気か何かだと思っている教員は業者を呼ぶことを渋る。そうして研究実績が出るのが遅くなり、補助金をもらえなくなるという悪循環。


 そんな状況に嫌気がさすと、僕のように昼間っから長文エントリを書くこともできる。こうやって費用対効果に無頓着で扱いづらい博士がどんどん量産されているのかと思う。


「先生様は居るだけでおk」な日本の大学


国立大学の授業料値上げ・教員費削減は合理的 - 雑種路線でいこう
http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20080519/hedu

教員・研究者の人件費を、研究費ではなく事業運営費(OPEX)に計上していることが日本の大学を腐らせている


 研究のクオリティを問わず、教員には一定の人件費が支払われる。つまり日本の学術研究は企業よりも「役所」に近いのかもしれない。よって問題点についても役所と共通。


・業績の評価が教員の死活問題にならない
・業績がモチベーションに繋がらない
・ハラスメント・汚職・不正が横行する


 特に業績の評価が教員の死活問題にならないのは致命的。一度常勤の教員になってしまえばいくらでも世の中に必要とされていない研究ができるし、成果が無くても研究を続けられる。


 日本の大学の研究において費用対効果の概念が薄いのは、このように教員が費用対効果クリティカルな状況で働いていないからだろう。


博士課程に「残る」人材像


 行政と教員がこんな感じだから、学術研究というのは社会に迎合せずずっと好きなことをやって給料がもらえる場所だと勘違いされてしまう訳ですよ。そして、俺はアインシュタインになる、みたいなデイドリーマーばかりが博士課程というモラトリアムに甘んじてしまう。


 逆に、社会感覚に敏感で現実が見えている学生はどんどん企業や海外に流れていってしまう。こういう人のほうが経営力やコミュニケーション力をバランスよく身に付けた優秀な技術者になる素養を持っているのに、学部卒の友達がどんどん羽振り良くなって行くのに耐えられなかったり、幅広い教養とスキルを身に付けて成り上がりたいという欲求に負けたりして、大学には残れないシステムになっている。


 そして大学に残ったデイドリーマーの一部が教員になり、さらに費用対効果って何?なデイドリーマー博士を育てるという悪循環。費用対効果がないから日本の基礎研究は牛歩の極み。対して企業に流れた優秀な学生は優秀な技術者に育ち、とんでもないスピードで新しい製品を作り続け、海外の基礎研究を基にした応用研究だけがどんどん育っていく。


 アプリケーションに関しては世界最高の水準を保持しているのに、基礎研究で目立った業績がほとんど無いという日本の悲劇はこうして生まれたんだろう。


結論

・やりがいのある仕事ができるのなら、給料にはこだわらない。
・自分の研究分野以外のことには興味が無い。
・将来は絶対に教授になりたいと思っている。それ以外の仕事は考えられない。


という学生は、博士課程に進学しないでくれ、頼むから。
じゃないと僕にも「博士は使えない」というレッテルが貼られてしまう。


学術研究における費用対効果(5/22 追記)

 はてブコメントありがとうございます。


 費用対効果が明確に定義できるようなことは会社でやればいいという意見を頂いていますが、「費用対効果に優れている」のと「利益が発生する」のはまったく別の問題だと思います。利益が発生しなくても、投資に見合うだけの外部経済を生み出したり外部不経済を解消できたりすれば、それは「費用対効果に優れている」と言えるからです。


 利潤を追求して会社で大規模な基礎研究を行うのはまず不可能です。基礎研究はいわば技術開発のためのインフラ整備であり、それが直接利潤に結びつくというよりは、他者が利用することによって価値が生まれるものだからです。


 企業が基礎研究をするということは、企業が公共の道路を自費で作るのと同じようなものです。自社の利益にもなりますが、それよりも他者の利便性を増して自社の競争力を失う危険性のほうが高い。しかも、基礎研究には失敗のだから市場原理が働く限り企業がインフラを整備することはありません。でも誰かがインフラを作らなきゃいけない。そのために行政とか大学の基礎研究があるんだと思います。


 日本には基礎研究が無いので、実は日本の技術開発はインフラを外注しているとも言えます。電気水道ガスの元栓を敵国に握られてるようなものだと言えば、その危険性が分かっていただけると思います。


 まあ実際問題として、経済の外部性について客観的に評価する方法というのはまだ発展途上なので、おっしゃる通り費用対効果で明確に定義できるのか?といえば怪しいんですけどね。