google進化論でまたワナビーが増えるという罠


 ウェブ進化論梅田望夫氏の興味深い記事について生意気にも批判的な意見を。

googleがもたらすものは「進化」じゃなくて「飽和」

グーグルが全世界規模でブルドーザーのように情報整理を行っているので、印象に残った記事や論文全体を読みたいのなら、関連するキーワードを三つくらい入力してグーグルで検索すれば、すぐに呼び出せるようになります。


 んなこた無いでしょう。開放してるのはニュースサイトと日本語の論文だけで、ScienceDirectとかで海外の論文を全文で読もうと思えば基本的に有料です。マニアックで内容の濃い文献ほど読む人が少ないからコストの回収が難しく、どうしても購読料に頼らざるを得ないのだから以降もずっと有料だと思うのです。それに100年以上前の論文は電子化されてないのも多いので紙媒体しかない。

早期にリタイアした人や、結婚して仕事を辞めた主婦などに、高度な知的能力を備えた人が少なくありません。事務処理や会議に忙殺されて知的生産の時間がとれない大学教授よりも、時間を自由に使える在野の人が輝く時代が訪れるのではないでしょうか。


 確かに、時間は大きな武器だと思います。プログラミングができる主婦、文才に秀でた主婦、企画能力に優れた主婦が今後ものすごく増加し、市場が潤うことに疑いの余地はありません。これらの新しい知的生産者層は、面白いイベントとかラノベとかSNSサービスとかは作るでしょうし、我々の生活は新しい文化で加速度的に飽和するかもしれません。が、加速度的に向上することはないでしょう。


 我々の生活を加速度的に向上させるようなイノベーションを生み出すには、前述のような紙媒体しかない古い論文や古典、マニアックな論文を読むことが不可欠です。google創始者の学生だって、インターネットって何?な時代に周囲の冷ややかな視線を浴びながら、当時は数少ないプログラム言語の専門書や論文を漁り、スパイダリングの技術を実用化したからこそ現在の地位があるわけです。


 googleが知的生産市場にもたらすのは、知的生産の進化などではありません。氾濫した二次情報をむさぼり既存技術の組み合わせで満足する「にわか知的労働者」の増加です。<生>の知識をストイックに追求し、今までに無い新しいものを作る「最先端の知的労働者」の質が上がらない限り、知的生産の進化はありえません。

最先端の知的労働者とは?


 技術者や研究者のような生活の物理的水準を向上する人のほかに、芸術家や職人のように生活の精神的水準を向上する人たちがいます。


 では、どこからが最先端なのか?すごいウェブサービスを作るとか、面白い文章を書くとか、技巧があるのは必要条件と思うかもしれませんが、デュシャンみたいに便器飾るだけでもアートなのですから多分違います。


 他の人が真似できないものをコンスタントに作れる人、だと僕は思っています。それがイノベーションを追求する方に向かうと「芸術家」や「研究者」、ユーザビリティを追求する方に向かうと「職人」や「技術者」になるということです。


 知的労働者のクラスチェンジ表を描いてみました。



にわか知的労働者の称号「アーティスト」「クリエイター」


 前述の「にわか知的労働者」、もしくは「二次創作労働者」と言い換えてもいいと思いますが、dankogaiさんの書評でも取り上げられていた「アーティスト症候群」という本に似たような概念が分かりやすく取り上げられていて興味深いです。


アーティスト症候群―アートと職人、クリエイターと芸能人

アーティスト症候群―アートと職人、クリエイターと芸能人


 この本では、まずなぜJ-POPのミュージシャンが「アーティスト」と呼ばれるようになったのか、ということについて考察しています。その過程で、「自分らしさ」を追い求めおぼつかない作詞に手を出すアイドルや創作活動にのめりこむ芸能人を痛烈に批判しながら、今の若者が「アーティスト」という言葉に憧れ、またなぜ「アーティスト」を自称するようになったのかということについて説明しています。

 職業歌手が職業歌手で、アイドルがアイドルで何がいけないのか。いけないことなどまったくない。潔くそこに徹していればいいのに、よけいな野心を抱くからおかしなことになるのだ。すべては「アーティストになりたい」「アーティストと呼ばれたい」という煩悩のせいである。もっと詳しく言うとそれは、「”私の世界”を作りたい」「”私の世界”をみんなにプレゼンしたい」という欲望である。


 要は、「私は私の生き方をしたいの!」とおっしゃるデイドリーマーが若者の間で急増しているということです。彼らが芸術家や技術者のような「オンリーワン」になりたいという欲求を利用し、マスコミや広告代理店の方々が「アーティスト」や「クリエイター」という言葉を与えました。芸術家や技術者のようなものを目指していれば、とりあえずそれを名乗ることができるのです。


 これは、正規ルートで地道に目指すのがめんどくさい、でも芸術家や技術者に近づきたいという若者に衝撃を与えました。通信講座や専門学校に通ったり、路上で歌ったりするだけで簡単に手に入る称号だからです。彼らはいつしか一流のアーティスト、クリエイターになる事を夢見るようになり、芸術家や技術者になるための<生>の小難しい知識を追求することを辞めます。




 なんか最近似たようなドラマとかアニメとかばっかだなーと感じている人も多いと思うのですが、その裏には、なまじ情報化社会の産物であるにわか知的労働者の指数関数的増殖、という背景があるんじゃないかと僕は考えます。まあ結局、楽して儲かるとか有名になれる仕事など無いんじゃボケェというオッサンじみた説教に繋がるのかもしれませんが。


 そういえばこの記事を書いていて、NHKの『トップランナー』という番組に『機動戦士ガンダム』の富野由悠季監督が出ていた時の事を思い出しました。質問コーナーにて、クリエイター志望の若者の「アニメ監督になるために何をしたらいいですか?」という質問に対し、「アニメを絶対見るな!文学を読め!」と一蹴してましたね。彼はやはり芸術家なのだなと思います。